YUSUKE SUGISAWA
1982年静岡県沼津市出身。現在も沼津市を拠点に活動している。 14歳からスケートボードをはじめ、 10代のほとんどの時間をスケートボードに費やす。玩具、日用品、路上で拾った物など様々な物を用いてお面や 鎧などを製作している。またスケートボードの連続写真の影響から身体の連続性をモチーフにしたペインティング 作品も製作しており、音楽製作やポエトリーディングなど活動は多岐にわたる。
憑依一体
スケートボードをはじめたのは14歳だった。 家の近くにスケートボードができる沼津中央公園という公園がありその公園に通う様になった。 中学三年の夏休み、部活動を引退しみんなが高校受験にむかって勉強していく中、私は毎日の様にスケートボードをしていた。 昼間は中央公園でスケートボードをして、夜になると人気のなくなった沼津の駅前や街の中でスケートボードをした。 昼と夜では街の景色は一変した。 当時は今ほど居酒屋なども多くなく終電のバスが行ってしまえば駅の前も人通りはほとんど無くなり、バスを待っていた人が座ってい たベンチにはナン パ待ちの女の子たちが座り、バスの代わりに女の子に声をかけるための車が列をなしていた。 今の若い人からは考えられないかもしれないが携帯電話も インターネットもない時代では人と人が繋がれるのは街の中だけだった。 人々は繋がりや自由を求めて街に繰り出していた。 そんな景色が一変した夜の街が私達の遊び場だった。私達はスケートボードで街中を駆け回った。 道路の真ん中をスケートボードで駆けている時、私たちは自由だった。 それは世界を手に入れた様な感覚だった。 社会は様々なルールで回っているが、当時の自分達には関係の無い事だった。 私達は社会の外側にいて、法の外の享楽の中にいたからだ。 帰るのはいつも朝だった。昼には中央公園に行き、夜は街に出て朝までスケートボードをする。 そんな毎日を続けていたので、もちろん高校受験には失敗した。 再募集でなんとか合格した高校生活が始まったが、相変わらずスケートボード中心の生活だった。 スケートボードを通じて様々な人と出会ってきた。 絵描き、デザイナー、映像作家、DJ、ラッパー、バンドマン等、みんなスケートボードを中心にして集まっていた。 イベントがあれば、スケーターの誰かがライブして、スケーターの誰かがDJして、スケーターの誰かがフライヤーの絵を描いた。 スケートボードの大会があれば、みんなでセクションを作り。みんなで運び、みんなでセッティングした。イベントにしてもスケート ボードの大会にして も何をするのにも自分達で作り上げるのが基本だった。 スケートボードの全国大会の出るために全国各地に旅をする事も沢山あった。 イベントにしても大会の旅にしてもメチャクチャなことばかりだったが十代の多感な時期の自分にとっては素晴らしい体験だったし、これらの経験はス ケートボードをしていなかったら絶対に得られないものだった。 気がつけば自分の周りはスケートボードを中心に文化の坩堝と化していた。 私はスケートボードはスポーツではなく文化であると思っている。 そんな中で育った自分が何かを作り始める様になるのは自然なことだった。 前述のとおり社会との接点が無かった自分にとっての社会との繋がりについて考えてみる。 子供が生まれるときに就職活動をして、何十件か受けてみたがすべて落ちた。 だから私は肩書きというものを持ったことがない。 職業欄への記入を求められた時、なんと書けばいいかいつも戸惑ってしまう。 子供がお父さんのお仕事という課題を出されたら何と書くのだろうか? 「オモチャでお面を作っている人です」で理解してくれる人はいないだろう。 絵を描き、立体物を作り、スケートボードをし、音楽を作り、詩を書き、映像を作り、ポエトリーリーディングする。 様々な顔を持っているが何者でも無いのである。この社会において自分を形容する言葉を見つけられないでいる。 社会とは人と人との集まりである。 社会とは人と人との集まりであるということならば他者との繋がりが社会である。 自由とは他者を侵害しない事である。 自由であるということが他者を侵害しないという事なら自由とは他者との繋がりの拒絶なのだろうか? 社会的に生きようとする自分と自分のまま自由に生きようとする自分が存在している。 展示されている作品にしても、絵画作品の方は、外在的、社会的、論理的で他者意識である。 立体作品の方は、内在的、個人的、感情的で自己意識である。 この二律背反した表と裏が一体となり私を形成している。 私は自由に生きたいが、規則的に生きたい。 私は混沌の中で生きたいが、秩序の中で生きたい。 私は私的に生きたいが、公的に生きたい。 私は独りで生きたいが、仲間と生きたい。 私は散らかったオモチャ、散らかった絵の具の中で生きたいが、片付いた家で生きたい。 これは矛盾や分裂などではなく一体化なのだ。 様々な自分が存在し、自分に自分を憑依させて、私は今も享楽の中にいる。
AWARDS
LUMINE MEETS ART AWARD 2017 グランプリ
MEDIA
AERA 2018.01.29.NO4
SLIDER MAGAZINE VOL.34